カウンセラーコラム

2017-09-26【研修レポート】

夢分析セラピスト養成講座(STEP1)受講レポート
夢分析とは、無意識の働きを意識的に把握するための技法である。
自分が本当に望んでいるものや、苦しみの原因を把握することが出来るようになる。
活字にすると、なんというか・・・現実感がない。

ビジュアル的には、ぼわ~っとしていて、薄暗い、
ファンタジックで可愛らしくて神秘的な、非常に女子っぽいイメージかなと思う。
・・・やはりとても胡散臭い。

夢分析なるものがあり、占いの様で信頼性に欠ける気もするが、
でも夢は誰もが見るもので、その中には自分の知っている人や物が出てきたり、
怖かったり幸せだったり、時にはリアルに体で感じる時さえあって、意味があるものであるようにも思う。
というほんの軽い動機で夢分析セラピスト養成講座を受けてみることにした。

夢占いと夢分析は似て非なるものである。
夢占いは、まだ知らない未来の出来事を夢が教えてくれる『神のお告げ的なもの』として捉えている人が多いのではないだろうか。
結果の責任は『神』にある。
一方夢分析は、実際に受けてみるとそれは正に、無意識の中にいる本当の自分を知るという、自分自身で行う“作業”だった。

子供のころから繰り返し見る夢があり、自分自身でも恐らくこういう意味なのではなかろうかと思うところはあったが、
実際に分析をしてもうことにした。
その夢とは、【何かを掴もうとしている感覚】である。
何とも表現のしようがなく実に現実感のない夢なのだが、33歳まで繰り返し見てきて
その感覚を現実の生活の中でも探してしまう程にそれは体に馴染むものだった。
だから、ずっと知りたかったのだ。その正体を。

気持ちを落ち着かせると「さぁ、夢の世界へ行っておいで」と、セラピストにぽ~んと放り出された。
しかし1人ぼっちにされるのではなく、セラピストはいつも傍にいてくれて私の感じるままに一緒に感情や感覚を体感してくれる。
1人で夢という冒険の旅をする、そのお供としてセラピストという浮遊霊が右肩辺りにいつもいるという感じだろうか。
妖怪ウォッチでいうケータ君の隣にいるウィスパーとか、ピーターパンにおけるティンカーベルとか、はたまたぴょん吉といったところか、
要するに主人公は自分で、自分自身で前に進んで行くのをセラピストはそっと傍で見守りながら居てくれる存在だ。
そこにはとても大きな信頼関係があった。

自分が見た夢の中をもう一度ゆっくりと味わう。

私は何かを掴もうとしている。
それは手のひらに収まるか収まらないか位の大きさで、肌色のような薄っすら透けて赤いような、
とても柔らかいようでいてしっかりとした掴み心地もあり、掴んでいるようでもあり包まれているようでもある。
肌色の谷間にいるような・・・水風船が2個くっついてるみたいな所・・・

細部はどうなっているか、その感触は
一番気になる物があるとしたら何か、それは物なのか人なのか
そこには誰がいてどんな表情をしている
その人に何を伝えたい、どんな話をする
その中でどんな感じがするのか・・・
夢の中で見て触れて感じるのは全て自分だ。
夢の中で見たものは全て自分であり、自分が発する自分へのメッセージ。
夢分析は、椅子に座ってリラックスした状態で行うが、
心の中では、自分自身へのメッセージを自分で掴み取るために能動的に行動しているという印象だった。

夢を辿りながらセラピストに状況を説明していると、普段抑えている感情や言葉にしていなかった気持ちが、
思いがけずサラリと口をついて出てくる。
それが明確な答えでなかったとしても、声にした途端自分をぐるぐる巻きにしていた何かが解けていくようだった。

33歳で娘が生まれ、この夢を見なくなった。
娘の小さな手が私の指を握る、そして私はその娘の手をそっと優しく包み込む。
きっと私が小さな赤ちゃんだった頃、母が私にしてくれたのと同じように。
私にとってこれは母から愛された印であり、私の娘への愛の形なのだと思っていた。
夢分析で、やはりこの夢は私の母性の象徴であるという結論に辿り着いた。

と、ここまでは想定内というか、あっと驚くような衝撃もなく、ふわっとした感じで終わったな~と思いきや、夢分析の本領はここからだった!!
数日後、何気なく分析の経過を思い返す中でふと気づいた。

―もしかして脚本に負けるなってこと?―

私は「女であってはいけない」「人より優れていなければならない」という禁止令とドライバーを抱えて生きてきた。
それらがあったからここまで頑張ってこれたのだとも思うが、
本来の自分は、脚本に負けずに生きろというメッセージをずっと送り続けていてくれたのではないだろうか。
男の人には絶対にできない出産を経験し、娘を胸に抱いている瞬間は誰が何と言おうと世界一の私だけの幸せを感じることが出来た。
私は、分析を振り返り自分自身を見つめ直すことで、夢を見なくなったのは、もう脚本が必要なくなったからだという結論を自ら導き出した。
夢分析というのは、受けている時間に結論が出るものではなく、実はそこをきっかけに自分を見つめ直すというのが本来の目的であり、
無意識の本来の自分は、自分自身の人格的な成長を、実はずっとずっと支援し続けてくれているのだ。

見る夢や自分の置かれている状況などにより夢分析を受けた後の感覚は異なるだろうが、
その時に得たものは、本来の自分から発せられるとても大事なメッセージに違いない。
夢の中には、そのヒントや道標がいっぱい詰まっている、正に“自我の宝石箱や~”。
私の人生は空から降ってきて神様が責任を取ってくれるものではなく、自分自身で責任を持って切り開いていくものなのだ。
夢分析を受けて感じた“気持ち”を感じる自分を大切にしたいと思った。

セラピストになって、沢山の人の夢の中を一緒に冒険したい。
講座を受けてみて、ほんの軽い動機は確固たる意志に変わった。
これが私の道になっていくのだ。
産業カウンセラー